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学芸ノート 【第1回】 高岡の“三天神”祭り


 当館では平成13年10月6日から12月9日まで、企画展「郷土の天神信仰」を開催しました。菅原道真(845-903)を祖とするという前田家の関係で、高岡をはじめ北陸地方は全国的にみても特有の天神信仰が残っており、また、平成14年は道真公が亡くなって千百年目にあたることから関心があり、会期中は大勢の来館者で賑わいました。
 天神信仰の根幹をなす「北野天神縁起絵巻」(京都・北野天満宮と富山・於保多(おおた)神社所蔵)の写真展示をはじめ、「牛乗天神」「渡唐(ととう)天神」「石榴(ざくろ)天神」「稚児(ちご)天神」「綱敷(つなしき)天神」など各種の天神画像や、小松天満宮の貴重な宝物類、武生の「木彫天神」や天神に主題をとった全国各地の郷土玩具や絵馬・刷り物などの展示を通して、主に高岡を中心とした北陸地方の天神信仰の一端を紹介しました。
 その事前調査によっていくつかの発見がありましたが、そのなかでも特に高岡の“三天神”ともいうべき三つの天神祭りが行なわれていることがわかり、ここに紹介します。



利屋町天神祭り利屋町天神祭り ◆利屋町(とぎやまち)

 日付順にみていくと、まず5月25日に行なわれるのは利屋町の天神祭りです。ご神体は木造天神像。曹洞宗龍雲寺住職の読経と高岡関野神社の宮司の祝詞が奏されます。以前は、現在のNTT西日本高岡ビルの所在地(木舟町)に建っていた聖安寺で実施され、「鎮火御札」が町内の各家に配られていました。
 龍雲寺内の天満宮には菅公没後千年の明治35年(1902)に書かれた略縁起が残っています。それによると、龍雲寺は大火の際、天神に祈念し類焼を免れたので、同寺6世・桃谷源は、お礼に大宰府へ参詣したが、その時のお告げにより天神像を頂きました。元禄3年(1690)寺内に天満宮を造営し、その天神像を安置したといいます。明治維新の際、町内に勧請し、天神祭りを行なうようになりました。
 祭りの当日には、町内の彫刻家・十二町二三吉の手になる大きな「天満宮」と彫られた額2点が龍雲寺に掛けられます。平成元年(1989)は遷座三百年祭にあたり、町内で盛大な祭礼が執り行われました。



「天満宮」額(千石町天満宮内)千石町天満宮 ◆千石町(せんごくまち)

 6月14日夜から15日まで「ようたか」を各家の軒に吊るし、町内の天満宮の境内には子供たちの習字などが展示される“献書祭”が行なわれます。
 千石町の天満宮は常駐の神主はいませんが、筆塚や臥牛なども備えており独立した天満宮としてはおそらく市内で最大の規模を持っており、職人の町だけに町内で維持されてきました。現在でも11の自治会が順に当番となり神社を運営しています。
 その起源は寛文11年(1671)に塩崎庄司宗四郎種益によって造営されたことにはじまり、有礒神社の上田宮司の支配のもと幾多の変遷をたどり、明治9年(1876)に現在地に遷座されました。拝殿内には文政8年(1825)に加賀藩主より拝領したという絹地に梅と藩主直筆の「天満宮」と書かれた額が掲げられ、木彫漆塗りの随身像が祀られています。
 昭和46年(1971)は天満宮鎮座三百年祭にあたり、新殿を新築し、盛大に慶賀祭が挙行されました。



ご神体の移動 祭壇(禅憧寺内) ◆鉄砲町・白銀後町(しろがねごちょう)

 三つの天神祭りの締めくくりとなるこの町内では、8月24日から25日にかけて曹洞宗禅憧寺(現在廃寺。下記参照)において行なわれます。24日の宵祭りには同寺本堂内に設置された祭壇に、生きた鯉を榊・酒・野菜などを他の供物とともに供え、午前0時丁度に裏手の用水に放たれます。これは「放生会(ほうじょうえ)」という儀式で、仏教の不殺生の思想に基づいて、捕らえられた生類を山野や池沼に放つもので、社寺で陰暦8月15日に行なわれる儀式です。また翌日には鯛を供えますが、これは皆で直会(なおらい/神事が終わって後、神酒・神饌をおろしていただく酒宴)の際に食します。
 以前は、ご神体(天神画像)などの宝物がお旅所(宿)であった家に一晩安置されたといわれていますが、現在では唐櫃で運ばれ町内を一巡したのち、寺内の天満宮へお帰りになります。天満宮からご神体を唐櫃に移す時は、部屋を真っ暗にして覆面(マスク)をした大木白山社の神主が、笛の音が鳴り響くなか厳かに行なわれ、町内の人達は皆正座してうつむき、それを見てはならず神聖な雰囲気に包まれます。
 天文11年(1542)、この地が未だ“谷内(やち)”といっていた時代、放生津(奈呉の浦)城の存亡の危機を救った願海寺城主寺崎氏と天神像に由来して行なわれる祭りです。
町内巡行
※禅憧寺は平成14年5月に老朽化のため取り壊され、寺内の谷内天満宮も町内の一角に移転しました。



 以上、簡単に高岡に残る三つの天神祭りを紹介しました。それぞれ、古い由緒を伝承しながら、特色ある祭礼を営んでおり、ぜひこれからも続けていって欲しいと思います。
(学芸員 仁ヶ竹亮介)






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原本作成日:2002年7月1日;更新日:2015年3月28日