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◎「後絶たない不法投棄 二上万葉ラインに大量の家庭ごみ」(北日本新聞 2016年4月14日)

 腹立たしく、情けなく、悲しいニュースですね・・・。
 私、前々から思いまするに、ゴミを捨てることほど最低の文化的(=非文化的)行為はなく、逆にゴミを拾うことほど最高の(本質的な)文化的行為はないのではないか、と(1)

 下の写真は昼休みに(当館のある)高岡古城公園(国史跡「高岡城跡」)をひと回り散歩しているついでに拾ったゴミです。花見の時期が終わったので、いつもより多い感じですが、ヒドイ時にはこの3倍ほどにもなってしまいます。今日は屋台の跡地の吸い殻の多さや、ルアー(釣りは禁止されているのですが?)もありましたね。
 そもそも高岡城跡(古城公園)の実地踏査(本音はダイエット目的)の散歩メインだったのですが、余りにもゴミが多いので10年前ほどから、“ついでに”ゴミも拾い始めました。ゴミを見つける度に軽く憤慨していますが、今ではすっかりゴミ拾いメインになってしまっています。

高岡古城公園で拾ったゴミ ゴミ拾いって、文化的行為かつ、結構「哲学的」でもあるなぁと思います。ゴミを拾っていると、結構、奇異の目で見られてしまうんです。中には「あっちゃあんたさん、偉いねぇ〜」と言ってくれる方もいらっしゃるのですが、それも「広義」の奇異の目といえなくもないですよね。
 特に拾いはじめの頃は、人前でゴミを発見すると、そんな奇異の目に恥じて屈してしまうのか?それとも愛する大切な郷土の史跡を守りたいのか?という心の葛藤をいちいち繰り返していました(今では何の躊躇もないですが)。
 禅寺の修行の第一歩はトイレ掃除と聞きます。中には素手で掃除させることもあるとか。正に「心の修行(鍛錬)」ですね。
 全く意識してなかったのですが、ゴミ拾いも立派な「心の修行」になっているのかもしれません。私はあがり症なのですが、講演・講座などで人前に出ざるを得ない場合などには、恐らく多少の効果のようなものがあるかと思っています。
 そんなことをはじめ、ゴミを拾いながら、色んなことを考えてしまっています。なぜ人はゴミを捨てるのか?、なぜ私は拾っているのか?、偽善ではないのか?、自分とは?、人間とは?・・・また文化とは何ぞや?、さらに「高岡における文化」とは?・・・なぜ高岡市は歴史都市・日本遺産なのに、近世高岡城下町遺跡を1件も発掘しないのか?、なぜ高岡市は歴史都市・日本遺産なのに歴史の真実性を示す『高岡市史』の「資料編」を未だに編さんしないのか?、さらに、なぜアーカイブズ(古文書館)を設立しないのか?、なぜ高岡市は歴史都市・日本遺産なのに、市内で唯一「通史」を扱う当館本館(常設展示場)を昭和26年築のまま無改修なのか?(2)、なぜ高岡市は歴史都市・日本遺産(・文化創造都市、世界遺産云々・ユネスコ云々)などのように「お冠」を得ること=「文化行政」と認識しているのか?、では「歴史都市」「日本遺産」とは何なのか?、またなぜ高岡人は「文化=イベント」と思っているのか?、なぜ高岡人は思いつきで新たなプロジェクト(団体)を立ち上げること“のみ”を以て「文化」と認識しているのか??等々・・・ということを考えながら(軽く憤慨しつつ)、本来的目的の城跡調査はどこへやら、タモリさんのように「下を向いて歩こう」状態で、ゴミを探して歩いています(タモリさん!NHKさん!高岡は幸い戦災に遭っておらず江戸初期の開町当初の町割りや「地形」がそのまま残っていますよ!ぜひぜひ来てください!)

 ところで現在は、スポーツや色んな趣味・教養のイベント、また郷土史などや生涯学習などが花盛りの時代ですね。特に最近では「地域活性化(まちづくり)」グループの方々の活動が目立っています。大いに結構なことと存じます。
 しかし、そんないわゆる「文化的」な活動をしておられる方々は、まず第一歩としてゴミを拾っておられるのか?とも思ってしまうのです。なぜなら特にイベントの次の日のゴミが多いのです。そしてまた、地域活性化などという遠大且つ難解な大問題に対し、とうてい実現不可能で、拠って立つべき「高岡(特に歴史)」に何ら無関係な理想論を聞く度に、その地域を真に好きで、愛しているならば、云々言う前にまずは(黙って)ゴミを拾おうよ!それがそれが全ての始まりでしょう、などとも思ってしまうのです。
 そして、「イベント」とは「文化」とはなんぞや?と思ってしまうのです。おそらくイベント主催者は「文化的行為をやった!」という満足感があるのかもしれませんが。

 また、様々な企業・団体が「ゴミ拾いイベント」を盛んに行っていらっしゃいますね。大変素晴らしいことと存じます。ですが、ふと思うのですが、その「ゴミ拾いイベント」の参加者は、翌日、目の前にゴミが落ちていたら拾うでしょうか?(特にイヤイヤ参加させられた方は??)おそらくほとんどの方は拾わないでしょうね(ちなみに無論、一番悪いのはゴミを捨てるほんの一部の心無い人間です)。
 そこで考えますに、イベントや仕事でも何でもない、そんな時にゴミを拾うこと“こそ”「真の文化的行為」なのではないか?そして、そんな人こそ、「真の文化人」ではないか、さらに、そんな人が一人でも多い街が、「真の文化都市」ではなかろうかと(勝手に)思い至っているのです。

 さらに、地域活性化(まちづくり)の面でも「ゴミ拾いは真の文化都市への第一歩」ともいえるのではないでしょうか?
 短絡的すぎる思考回路ですが、【日頃から(個人的に)身の周りにあるゴミを拾う】⇒【きれいな所にゴミは捨てづらい】⇒【きれいな街は気持ちよい】⇒【「文化レベル」が高い町は自然にきれい】⇒【市民はさらに愛着を増し、観光客はもう一度行きたいと思う「リピーター」になってくれる】という「きれいな好循環」が生まれると思うのです。
 もちろんそんな単純なことではなく、これこそが「理想論」であると承知しています。しかし個人的に、地域活性化とは(高岡人の多くが思っているように)経済的効果のみではなく、「真の文化都市への道」のことだと思っています。「文化」とは個々人の「心」の問題であり、その個々人(の心)がいかに社会と関わってきたのか?いるのか?いくのか?ということではなかろうかと考えます。少なくとも地域活性化を考える際には、経済活性化(観光客増=“外貨獲得”)のみを直接的・短絡的に目標に据えるのではなく、また新たな(特異な)ことを「意図的に」するのではなく、その地域の住人ひとり一人の心が豊かな「真の文化人」が多い街ならば、意図せずともおのずから魅力的な“かがやき”あふれる街になるでしょうし、人はそんな街に「行ってみたいな」と自然に思うのではないでしょうか?
 遠回りなようで実は誰もが無料でいつでも何処でも「心」さえあればできる「ゴミ拾い」という行為には、想像以上の意義・重要性が秘められていると思います。
 決して国宝・重文などの史料や建造物・街並み、また祭礼などという指定文化財になるほどの貴重な文化遺産(コンテンツ)のみが、「文化都市」の要素ではないと思います。どんなに有名な観光地や史跡であっても、ゴミだらけだとガッカリしてしまいますよね。また現地の人に冷たくされたら、その街全体の印象も悪くなってしまいますよね。それら貴重なものや有名なもののみならず、人々の日常の営みや、育んできたものなどの広義の「文化遺産」には、古来より人々の「心」がつまっているのです(ボロ屑に見える古文書や民具、名もなき町内のみの行事など)。現代人においてその「心」は、内に郷土愛、外には「ゴミ拾い」や「おもてなし」というかたちで表れてくることでしょう。その「心」にこそ私は魅力を感じ、「真の文化」を感じます。

 また、大人が普通に何気なくゴミを拾う姿を子供に見せること(意図してしまってはいけませんが)は、結構どんなことよりも高い教育的効果があるとも思います。

 誰からも頼まれた訳でもなく(もちろん無報酬で)ゴミを拾うという行為をする人の多くは、その場所(街)に愛着を持ち、きれいにしたい、と思っていることでしょう。大げさに言うと「郷土愛(誇り)」や「おもてなしの心」がある人ともいえるでしょうか。
 とにかく、私は「イベント」や「(多くは机上に理想論を並べるのみの)地域活性化グループ」の「(自称)文化人」よりも、イベントの翌日そっと黙ってゴミを拾う無名の人こそが「真の文化人」だと思ったりしているのです。
 何よりもこんなことを言ったり、書いたりしてしまっている私は、まだまだ心の修行が足りないなぁとつくづく感じている次第でございます。


(1)拙稿「高岡の文化資源の活かし方」『高岡芸術文化都市構想 都萬麻 01』富山大学芸術文化学部編、梧桐書院、2012年
(2)当館本館は昭和26年、戦後復興を目的とした「高岡産業博覧会」の“美術館パビリオン”として建築されている。当時の美術品展示施設であり、構造的補修歴は無いので、空調が無く、高温・低温多湿、直射日光が入り、有害生物が容易に侵入するなど、現在「博物館(ミュージアム)」としては(悲しいかな)全国最低クラスの不適格建築と言わざるをえないであろう。これは20数年間、数百館、全国の(敢えて高岡より人口の少ない都市を中心に)見て回った私の実感である。私のような歴史好きは初めての街に行くとまず博物館(資料館)を訪ねる。その街の歴史文化レベルは如実に博物館の建築的レベルと比例している。観光客が当館を見てどう思うであろうか?さらに何より、いつ何時天井・外壁材が落下してもおかしくないという極めて危険な建築でもある。

(主査学芸員・仁ヶ竹 亮介)





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原本作成日:2016年4月16日;更新日:2016年8月19日