学芸ノート


【第4回】 母衣(ほろ)武者行列


 「母衣(ほろ)」とは竹籠などでふくらませた布のことで、騎馬武者が背負い、後方からの矢よけなどにした指物(さしもの)の一種です。戦国時代、母衣を着用して大将に近侍し、伝令などに戦場を駆け巡った“母衣(掛)武者”は、軍団のエリート集団でした。
 高岡を代表する祭礼に国指定重要有形無形民俗文化財・高岡御車山(みくるまやま)祭りがあります。この祭礼は高岡開町時(慶長14年・1609)よりの歴史を持つとされていますが、その行列を京都・祇園祭りなどにも見られるように、母衣を着けた武者が先導していたといわれています。
 その高岡母衣武者行列の起源は明らかではありませんが、高岡御車山の行列次第が記録された「御祭礼行列調理帳」(『高岡市史』中巻p371)によると、遅くとも享保元年(1716)にはその存在が確認できます。次いで宝暦13年(1763)の「正一位関野神社/正一位加久弥(かくみ)神社/御祭禮行烈」(高岡市立中央図書館蔵)にも6町内が「幌掛(ほろかけ)武者」を出していることが見い出せます。しかし、この2点の史料はいずれも文字史料であり、その実像は不明でしたが、「越中国高岡/関野神社祭礼繁昌略図附録」(当館蔵)という明治16年(1883)の木版画には8人の母衣武者が神輿(みこし)・御車山を先導している様子が描かれており、往時の祭礼の賑やかな様子がよくわかります。
 この高岡関野神社の母衣武者の他にも、高岡市内の大木白山社(おおきはくさんしゃ)と川巴良(かわら)諏訪神社の祭礼においても母衣武者行列が行われていました。両社とも高岡関野神社の母衣武者に影響を受けて始まったと思われますが、詳しくはわかっていません。
 曳山や神輿を先導し、祭りを盛り上げていたこれらの母衣武者行列は、やがて分離独立して、母衣武者のみの行列となり、昭和30〜40年代頃まで行なわれていました。現在でも、祭礼当日には各氏子町内の“母衣宿”において母衣〔高岡では甲冑(当世具足)の意〕とともに大小の纏(まとい)、旗、法被(はっぴ)や供物などが飾られて、曳山や神輿を迎えています。




◆高岡関野神社

 絢爛豪華な曳山で有名な高岡御車山祭りは、高岡関野神社の春季例祭(5月1日)です。
 山町(やまちょう。御車山などを持つ10町内)とは別に、時代により数の増減はありましたが、現在では博労町(ばくろうまち)・元町(もとまち。現在は本町と表記)・梶原町(もと梶原渕町)・平米町(ひらまいちょう)・宮脇町1丁目の5町内が母衣(甲冑)・大小の纏などを母衣宿で飾り、御車山を迎えています。鴨島町の大旗(だいばた)は上記の「越中国高岡/関野神社祭礼繁昌略図附録」にも見られるように、以前は行列の先頭を歩いていましたが、現在は町内に立てられています。
 史料によると江戸時代には上記の町内以外にも、利屋町(とぎやまち)、白銀町(しろがねちょう。現在母衣一式は当館寄託)、片原横町、鴨島町などの母衣武者が大小の纏、床几持ち(小姓)などを従え、行列にも参加していたようです。

博労町母衣宿 元町母衣宿 梶原(渕)町母衣宿(大正〜昭和初期頃) 白銀町母衣宿(昭和24年)
左より博労町、元町、梶原(渕)町(大正〜昭和初期頃)、白銀町(昭和24年)の母衣宿



◆大木白山社

 高岡市内下関地区の鎮守である、大木白山社の春季例祭は毎年5月16日に行われています。
 以前は氏子各町内が母衣武者を仕立て、神輿を先導していたようですが、現在では大鋸屋町(おがやちょう)、大工町、大工中町と鉄砲町・白銀後町(しろがねごちょう。昭和期に分離したが、現在でも一体で活動)の5町内が母衣武者装束一式を母衣宿に飾りつけ、神輿を迎えています。

大鋸屋町母衣宿 大工町母衣宿 大工中町母衣宿大工中町の元の母衣(ビロード包白糸威六枚胴具足)  平成9年に再現された鉄砲町母衣武者行列
左より大鋸屋町、大工町、大工中町の母衣宿と大工中町の元の母衣(ビロード包白糸威六枚胴具足)、平成9年に再現された鉄砲町母衣武者行列



◆川巴良(かわら)諏訪神社

 高岡市内川原地区の信仰を集める、川巴良諏訪神社の春季例祭にも母衣武者行列が行なわれていました。その起源は明らかではありませんが、明治2年(1869)にそれまで兼務社であった高岡関野神社から宮司が分家したので、その前後からとも考えられています。
 昭和38年(1963)までは氏子8ヶ町の旅籠・風呂屋・上川原・中川原・檜物屋・川原上・二丁・一番新の各町内からそれぞれ母衣武者を出していたようですが、現在では毎年5月10日の祭礼日に各町内で飾りつけられるのみとなっています。また平成2年、二番新町の母衣武者道具一式が再発見され、飾られています。
 川巴良諏訪神社の母衣武者はそれぞれ前田利家・源義経・上杉謙信・徳川家康などの名称の名を戴いているのが特徴的です。

川巴良諏訪神社春季例大祭(昭和37年) 川原上町母衣宿 二丁町母衣宿 二番新町母衣宿
左より川巴良諏訪神社春季例大祭(昭和37年)、川原上町、二丁町、二番新町の母衣宿





 以上、簡単に3つの高岡母衣武者祭りを紹介しました。それぞれ、少子高齢化や甲冑などの維持管理、住宅建築の変化による母衣宿の不足等々困難な状況にあるにもかかわらず、古い由緒を伝承しながら、特色ある祭礼を営んでおられます。その熱意には心よりエールを贈りたく、ぜひこれからも続けていって欲しいと思います。
(学芸員 仁ヶ竹亮介)



※年代の表示していない画像は全て平成10年の祭礼当日に撮影したものです。


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原本作成日:2003年3月20日;更新日:2006年8月27日;
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