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高岡城関係資料 「11月24日付前田利長書状(小塚淡路秀正宛)」


前田利長書状(小塚淡路秀正宛)

 【年代】慶長14〜15年(1609〜10)頃11月24日
 【法量】タテ33.2p×ヨコ51.5p
 【所蔵】木町神社



 この文書は慶長14年〜15年(1609〜10)頃の11月24日、利長から小塚淡路秀正に宛てられた書状である。
 高岡城と城下町建設のため、利長は小塚淡路に命じて、千保川と小矢部川の合流点に木町を開設した。
 内容は「木町の柵(しがらみ)を作り替えるための木数865本の代銀216匁をただ今(淡路に)遣わすので、(木町へ)渡してほしい。(淡路に)銀を5枚遣わす」というもの。
 柵(しがらみ)とは、水の勢いを弱めるため、川の中に杭を一定の距離に打ち並べ、柴や竹などをからみつけたもの。当時の船着場として突堤などと並び、重要な設備の一つであった。
 本史料は何年ものなのかははっきりしないが、柵を作り替える必要がある程に木町には木材・石材など大量の物資が陸揚げされたことを示している。
 また最後に銀子5枚を淡路に遣わすとあるのは、必要経費なのか、褒美なのかはこれだけでは判別はつきかねる。
 木町神社には本史料を含む3点の利長書状があり、これらは高岡市から文化財に指定されている。またその他に大量の「木町文書」も保存されており、これは木町のみならず高岡の歴史を知るうえで、大変貴重な史料群である。



〔翻刻(ほんこく)〕
「F銀子五まいつかハし申候/@木まちよりけころはかし/Aかわてのしがらミにかい/B申候木かす八百六十五本/C此銀子弐百十六匁たゝいま/Dつかハし候間わたし/E申さるへく候/Gかしく/H十一月二十四日/I(端裏ウワ書)(切封)あわち まいる はひ」(丸数字は読む順番。「/」は改行)

〔読み下し〕
「木町よりけころはかし、川手の柵に替い申候(そうろう)木数八百六十五本、この銀子二百十六匁ただ今遣わし候間(あいだ)渡し申さるべく候。銀子五枚遣わし申候。かしく。十一月二十四日。淡路(小塚秀正)。参る。はひ(利長拝領の姓・羽柴のハと官職名・肥前守のヒ)」






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原本作成日:2003年5月21日;更新日:2015年3月28日