| ホーム | 収蔵資料検索 | ご利用案内 | 交通アクセス |

高岡城関係資料 前田利長書状(神尾図書之直・松平伯耆康定宛)



〔翻刻(ほんこく)〕
「R尚々三分一ほと/S人共のこし候て/@わさと申入候仍/(21)くれ候ように/A十三日ハたまし/(22)申度候/Bいたし申候内々/C申ことく其いせんニ/D加州ふしんの/E物あけ度候間/F両人より此よし/G申さるへく候/Hいまたうちつめ/Iられ候ハんと申され候<折り返し>Jともたつて申候/Kてくつろき候/Lようニ申さるへく/Mこんとハおの(繰返し記号)/Nせいの入候ゆへ/O此じぶんわたまし/Pまんそく之由/Q両人よく申度候/かしく/九月五日」(丸数字は読む順番。「/」は改行) (奥ウワ書)「つしよ/はうき   はひ/参」


〔読み下し〕
「態(わざ)と申し入れ候、仍(よって)(九月)十三日移徒(わたまし)いたし申し候、内々申す如く、その以前に加州普請の者揚げたく候間(あいだ)、両人よりこの由申さるべく候。未だ打ち詰められ候わんと申され候とも、たって申し候て、くつろぎ候ように申さるべく候。今度は各々精の入候ゆえ、この時分に移徒、満足の由、両人よく申たく候。
尚々三分(の)一程、人ども残し候て、くれ候ように申したく候。
かしく
九月五日」
(端裏ウワ書)「図書(神尾之直)/伯耆(松平康定)   羽肥(前田利長)」


 【年代】慶長14年(1609)9月5日
 【法量】
 【所蔵】前田育徳会(尊経閣文庫)



 この文書は慶長14年(1609)9月5日に利長から、側近の神尾図書と松平伯耆に宛てて出されたものである。
 直訳すると「9月13日に高岡へ移徒(=入城)する件は、内々に言ってある通りである。それより以前に加州(加賀国=石川県加賀地方)より来ている普請の者たちを、引き揚げさせたいと思うので、両人(神尾・松平)よりこの旨を伝えておくように。「未だ完成していません」と言おうとも、強いて伝えて、くつろぐように申し伝えよ。今度は各々が普請に精を入れてくれたので、13日に高岡入城できることは満足しているということも、両人からよく申し伝えよ。なお、三分の一程は人数を残すように申し伝えよ」というもの。
 これ以前までの再三にわたる利長の催促により、高岡城の建築工事は取りあえずひと段落したようである。前田家の領国・加越能三州(富山・石川県)から徴集されたという人足の内、加賀からの者たちを帰国させる旨を伝えている。併せて利長は(自分の督促が厳しすぎたと反省したのか不明だが…)ねぎらいの言葉も忘れてはいない。
 しかし残りの作業のために3分の1の人数は残すようにとの「オチ」もしっかりとついている。






このホームページ内の内容、画像の二次利用は固くお断りします。

原本作成日:2003年5月21日;更新日:2015年3月28日