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高山右近銅像(高岡城跡大手口)


高山右近銅像

 高岡古城公園大手口に建つ高山右近銅像。原型は滋賀県の彫刻家・西森方昭作。高槻市民会館前とマニラ湾公園に次いで昭和62年に建立された。
 高山右近(1552-1615)は安土桃山から江戸初期にかけての代表的なキリシタン大名。
 大和国宇多郡(奈良県宇陀市)沢城主・高山飛騨守友照(ダリヨ)の嫡男として、摂津国高山(現在の大阪府豊能郡)で生まれた。名は重友、また長房、友祥ともいい、右近は通称である。
 永禄7年(1564)にキリシタンとなる。洗礼名はジュスト。摂津国(大阪府)高槻城主となり織田信長に仕え、豊臣秀吉により明石に移封される。また利休七哲のひとりで南坊・等伯と号する茶人でもあり文武両道に優れた。秀吉のバテレン追放令を拒否して追放されたが、加賀前田家に高禄で迎えられた。小田原北条攻めや、大聖寺城攻めなどでは前田利長の参謀的な存在として活躍。また築城の名手として金沢城の修築や高岡城の縄張りを行なったと伝えられるなど、軍事・政治両面で利長を支えた。
 慶長19年(1614)正月に徳川幕府の禁教令により国外追放となり、元和元年(1615)マニラで没した。信仰に殉じた右近の名は遥かヨーロッパまで届いていたという。
 平成28年(2016)1月21日、バチカン(ローマ法王庁)は右近を最高の崇敬対象となる「聖人」に次ぐ「福者」に認定した。






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原本作成日:2002年7月1日;更新日:2016年3月31日