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学芸ノート 【第8回】 高岡市に「アーカイブズ(古文書館)」を!


 昨平成21年は高岡開町400年の節目を迎えた記念すべき年であった。我々市民にとって高岡の来し方を振り返り、未来に繋げる非常によい機会となったのではないかと思う。「開町まつり」の行われた9月13日(実は新暦では10月10日)をはじめとして、数年前から種々の記念イベントが行われてきた。「世界遺産」運動と共に、この「開町400年」ブーム(?)のもとで、多くの記念行事や講演会などが行われ、市民の歴史意識・生涯学習意欲が益々増大したという実感があった。
 しかし、その記念事業の多くが「イベント」であった。イベントはある物事を急激に、啓発・普及させるうえでは、とても絶大な力をもつが、その一方、終わってしまえばその記憶が失われるのもまた急激であるような印象がある。いわば、泡沫的、打ち上げ花火的なのである。なかにはきっちりと記録集を発刊しておられるところもあるが、非常に少ないと言わざるを得ない。
 またイベントのほか、記念出版等も相次いだ。『千保川の記憶』(千保川を語る会、桂書房)、『保存版 ふるさと高岡』(郷土出版社)、『高岡を愛した先人たち』(高岡商工会議所)、『たかおか夢絵巻』(高岡開町400年イベント実行委員会)、『富山県 高岡市の文化財』(白鳳会)等である。また北日本新聞社「高岡開町400年新聞」の連載や、富山県映像センターや高岡ケーブルテレビの歴史特番DVD等も特筆すべきであろう。いずれも(微力ながら若干ご協力させて頂いたが)、後世に貴重な資料となるものばかりである。が、私には一抹の空しさがないわけではない。

 それは、高岡市にとって公式な記録となる『高岡市史』の「史料編」が、未だに出版されていないことである。「通史編」というべき現在の市史は、上中下3巻が昭和34・38・44年に出版されている。上巻出版から実に半世紀が経過した。もちろんその間、高岡のみならず我が国の歴史研究は大いに進展し、様々な新発見・新知見が相次ぎ、「教科書」も大いに書き換えられた。しかも、『高岡市史』は編纂委員会の編集とはいいながら、その実、主筆・和田一郎氏の想像を絶するほどのご苦労による「個人編著物」といえるほどのものなのである。和田氏によって膨大な資料が収集・編集され、博覧強記というべきその知識によって考証し、「叙述」がなされているものが『高岡市史』なのである。明治42年の『高岡史料』や、平成3年の『たかおか −歴史との出会い−』を例外として、この“和田氏の”『高岡市史』が我々市民のもつ唯一の公式な歴史書なのである。和田氏の偉業は十二分に称賛に値するものではあるが、「公式」であるにも関わらず、その責任をいつまでも個人に押し付けたままにしていいのだろうか。

 歴史(ヒストリー)とは、多くの史資料を材料に考証され、ある特定の個人、または団体(法人や自治体など)によって「叙述」されるものである。つまり多少なりとも物語(ストーリー)性があるのだ。叙述者がどんなに冷静に客観的に叙述しようと努力しても、歴史叙述(認識)というものは、史料の「選択」や「解釈」という“人為的”な作業を介在せざるを得ない以上、100%の客観性は得られないといえる。叙述者個々人によって異なる知識・思想・史観等の影響からはどうしても逃れられないのだ。ではどうすればよいのだろうか。
 それは、歴史認識の大きな材料・根拠となる「史料」、即ち先人の遺した公文書・私文書や古記録などのいわゆる「古文書(こもんじょ)」の内容をそのまま活字化(翻刻)し、公開することが最重要である。そのためには日常的に古文書をはじめとした史料を、しっかりと収集・保存し、調査・整理して、目録を刊行、またはデータベースを作成して検索可能な、活用(提供)出来うる状態にしておくべき必要があるのだ。つまりは「アーカイブズ」の構築である。
 「アーカイブズ」とは、公文書・古文書保管所、文庫などのことを指すが、のちに行政機関、ミュージアムなどによってまとまった文書・文化財などが集積され、それらに関する記録・整理の活動をも併せて示している(笠羽晴夫『デジタルアーカイブの構築と運用 ミュージアムから地域振興へ』水曜社、2004年)。さらに丑木幸男氏は、「人間が活動する過程で作成した膨大な記録のうち、現用価値を失った後も将来に保存する歴史的価値がある記録資料」と定義している(『アーカイブズの科学』国文学研究資料館史料館編、2003年)

 とりわけ公文書(特に市と合併した旧町村文書)をしっかりと保存・情報化しておくことが、地方公共団体たる高岡市の「責任」といえよう。アーカイブズとはよく「公文書館」とも訳される程なのである。
 また歴史研究上のみならず、あらゆる公的情報の適切な管理と公開は、「国民の知る権利」を保障する、民主主義の根幹といえる。


高岡公園関係綴
高岡公園関係綴

 公文書の重要性について、ほんの一例を挙げると、先日、高岡市立博物館では高岡古城公園関係の公文書を調査・分析し、近代日本庭園の先駆者として知られる京都の庭師・7代小川治兵衛(とその弟子・広瀬万次郎)が公園設計にかかわった 事実や、市が公園水濠内に自生していたレンコン(ジュンサイ、菱の実等も)の採取権を入札にかけていたことなど興味深い幾つもの事実が明らかとなった。
 公園の歴史にとって全く失われていた事実ばかりである。この公文書は高岡市花と緑の課から移管された、明治36年〜昭和14年の埃を被った文書綴7冊(1,319点)である。





 しかし、いきなりアーカイブズを建設する、というのは予算的にもソフト的にも難しいし、何より市民の合意(コンセンサス)が重要であろう。その前段階として、市史(特に史料編)編纂は大変有効であると考える。最近の主流として、市史はその多くが「史料(資料)編」なのである。例えば、『上越市史』(平成12〜16年)は全21巻のうち14巻(約67%)が、『氷見市史』(平成10〜19年)は全10巻のうち8巻(80%)が、『新修 七尾市史』(平成11〜25年)は全17巻のうち14巻(約82%)が、『金沢市史』(平成4〜18年)は全22巻のうち19巻(約86%)が、そして『新修 小松市史』(平成11年〜編纂中)に至っては全20巻のうち18巻(90%)も「資料編」なのである。もはや完全に“主役”といえる。つまり外部の有名な研究者(個人)による叙述(「通史編」)は“脇役”になっていただくべきなのだ。
 市史編纂室は、編纂の過程において、膨大な史料を収集・整理し(“主役”を演じるべきそのノウハウも蓄積しながら)、データベースを構築する。その史料群・データ、人材などからなる「組織」は、後に設立するべきアーカイブズの主要な核になるのである。仕事は人(外部の個人)ではなく、机(組織)に付かなければ真の意味で継承はされない。
 高岡市も将来、充実した市史(史料編)を出版するために、そしてアーカイブズを設立するために、市役所内において早急にその準備をしておかなければならない。まず「歴史的公文書保存規定」などの方針(ポリシー)を定め、専属の史料調査員(アーキビスト)によって、現用期間を過ぎた公文書や保存文書のなかから、市にとって歴史的に重要な史料に成り得る文書を選別・調査・整理する作業を“日常的”に行う必要があろう。極論すれば、外でどんなに賑やかな「お祭りイベント」を行っていても、その部屋では黙々と作業をしているという風景こそが理想であり、最低でもそのように“意識”をすることだけでも重要であろう。

 我が国の地方公文書館は、昭和62年の「公文書館法」、そして平成21年の「公文書等の管理に関する法律」の成立以降、都道府県や主要都市などでは多く建ち始めているが、市町村レベルではまだまだ少ない。ましてや県庁所在地・政令指定都市以外では非常に少ない。それらを下表にまとめてみた。

<県庁所在地・政令指定都市を除く地方アーカイブズ>
所在地 施     設     名 
新潟県十日町情報館
栃木県小山市文書館、芳賀(はが)町総合情報館
茨城県古河市立三和(みわ)資料館
埼玉県八潮(やしお)市立資料館、久喜市公文書館
東京都板橋区公文書館
神奈川県藤沢市文書館、寒川文書館
長野県松本市文書館
静岡県沼津市明治史料館、磐田市歴史文書館
愛知県西尾市岩瀬文庫
滋賀県守山市公文書館
兵庫県尼崎市立地域研究史料館
山口県下関文書館
愛媛県西予市城川文書館
福岡県柳川古文書館
熊本県天草市立天草アーカイブズ
沖縄県北谷(ちゃたん)町公文書館
(平成21年末に全史料協HP、「ぶん蔵」HPから作成)

 上記の20館しかない(図書館や博物館、市史編纂室等を除く。もちろんこの他にも公文書館準備室がある上越市などの事例もある)
 これらのうち八潮市、藤沢市、松本市、尼崎市などは市史編纂後に文書館施設に発展させたケースである。市史編纂後もしっかりと史料を収集・整理・保存・活用していくうえでも、アーカイブズの役割は益々重要となってきている(小松芳郎『市史編纂から文書館へ』岩田書院、2000年)
 特に最近では、上述の「アナログアーカイブ」というべき現物史料、及びその紙台帳によるデータを総デジタル化し、インターネットに電子情報として共有・利用できる仕組みである、「デジタルアーカイブ」の意義・有用性がますます重要になってきている(拙稿「高岡の文化資源の活かし方 ―デジタル・アーカイブ、アニメ等を活用した「まちづくり」事例紹介」『高岡芸術文化都市構想 都萬麻01』富山大学出版会、2012年)。いつでも、誰でも、どこでも無料で史料の詳細を閲覧できる「デジタルアーカイブ」は、もはや、“社会の知識インフラ”と国が言っているほどなのだ(『知のデジタル・アーカイブ ―社会の知識インフラの拡充に向けて―』2012年、総務省)

 高岡市が真に歴史・文化都市を目指すのならば(文化財調査は当然として)、イベントや生涯学習の振興などと両輪となる、「高岡市アーカイブズ(古文書館)」の設立が一日も早く必要であると考える。またそれは、高岡市が内外に、真の歴史・文化都市を目指すということの何よりもの宣言(宣伝)にもなろう。
 とりあえずは、中央図書館の「古文献資料室」を整備拡張するか、老朽化が甚だしい高岡市立博物館の機能強化などが考えられる。また将来的には、それらの他、未だ市に無い埋蔵文化財センターや民具館等をも併せた複合施設、「高岡市歴史館」なるものが出来たら(早いうちならば)全国に誇ることができる、大変素晴らしい快挙といえよう(複合施設の事例は上掲の板橋区公文書館、寒川文書館、芳賀町総合情報館、八潮市立資料館の他、奈良県立図書情報館、長野県立歴史館、茨城県立歴史館、京都府立総合資料館、三重県総合博物館など多くみられる)

 よく歴史は、半世紀を経て初めて語ることができるといわれる。つまり現在の歴史を「語る」ためには、今から、日常的にその準備をしておく必要があるのだ。埃にまみれた古文書は、ただそこにあるだけでは、「史料」たりえない。人為的に情報化・アーカイブ化しなければ、人によればただのゴミ屑同然である。今は例えどんなゴミ屑に見えようとも、50年100年200年経てば、それはもう立派な「お宝」といえるのである。
 日々の"地に足の着いた"地道な努力がなければ、我々自らの郷土の歴史が分からない(語ることができない)という恥ずべき事態に陥ってしまいかねない。お祭りやイベントが大好き(?)な高岡にはちょっと苦手な分野かもしれないが、私はその努力こそが、「真の文化」を下支えするものと信じている。


(主査学芸員 仁ヶ竹亮介)


 (なお本稿は、高岡市立図書館報『高岡の図書館』第89号(2010年1月発行)に一部改変して掲載されている拙稿「高岡開町400年を振り返って」の原文である。)

 ◎本稿に関連して北日本新聞「まいたうん TAKAOKA」第202号(平成27年10月)の「たかおか歴史探訪76」で紹介していただきました。




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原本作成日:2009年12月1日;更新日:2016年8月5日