企画展「郷土の俳句・俳画」
<会期>平成14年4月16日(火)〜6月23日(日)
<主催>高岡市立博物館
俳諧は17世紀後半からの松尾芭蕉の全国行脚により庶民の間に広まっていきました。越中でも俳諧熱は高く、多数の俳書が出版されました。
明治中期、正岡子規は俳句の近代化を唱え「日本派」を興します。同30年(1897)子規の高弟・河東碧梧桐の来高により、和田の西光寺住職・寺野守水老を中心に「越友会」が結成され、全国的にも先駆的な地方俳壇として活躍しました。
本展では、越友会を中心に高岡の俳壇や俳画壇で活躍した筏井竹の門・山口花笠・寺野竹湍・沢田はぎ女・正村陶所など郷土の俳人を句集や関連写真など約350点で紹介します。
また高岡市内の小学校では俳句が盛んです。純真な「子供たちの俳句」のコーナーも併せてご覧ください。
□第1展示室(1階)
この展示室では、江戸中期、越中に興った「越中蕉風」とそれ以降の俳諧を概観し、明治30年(1897)に和田(現高岡市)で発足された、県内初の近代的な俳句会「越友会」の主要な俳人たちを紹介しています。
〔紹介している主な俳人〕
- 浪化上人(1671-1703,井波瑞泉寺11代住職で芭蕉最晩年の直弟子。越中蕉風の主要な担い手。著作に『浪化上人発句集』『俳諧正語抄』『戊寅集』等)
- 竹内十丈(?-1723,高岡にはじめて蕉風をもたらした。屋号・米屋。多くの俳書にその句が採録。1701年に『射水川』を編纂)
- 尾崎康工(1702-79,戸出(現高岡市)の俳人。多くの門弟を抱え後に続く「戸出俳壇」を創出。編著は『俳諧百一集』『八椿集』『俳諧金花伝』等)
- 半雪居野鶴(1824-71,高岡守山町の人。桜井梅室に学ぶ。浪化上人を慕い『浪化上人発句集』を出版、他に『山鴉集』がある)
- 寺野守水老(1836-1907,和田西光寺住職。河東碧梧桐に接し正岡子規の「日本派」に転じ、県内初の近代俳句会“越友会”を興した)
- 河東碧梧桐(1873-1937,松山市出身。子規の教えを受け、高浜虚子と双璧をなす。高岡や城端に来遊し、当地俳壇に多大な影響を与えた。句集に『新傾向句集』『八年間』等)
- 筏井竹の門(1871-1925,金沢出身で後高岡に転居。「越友会」創会当初からの同人。碧梧桐に師事し地方新聞俳壇の選者を務めるなど多くの後進を育成。晩年渓仙と出会い俳画に没頭)
- 寺野竹湍(1869-1942,守水老の後継。「越友会」創会当初からの同人。新聞「日本」に盛んに投句したが、子規没後、碧梧桐の“新傾向”には従わなかった。歌人でもある)
- 山口花笠(1878-1944,「越友会」創会当初からの同人。子規直門で、竹の門の没後に「越友会」の中心人物となり定型俳句に復した。多くの後進を育て、俳史研究も手がけた)
□第2展示室(2階)
この展示室では、筏井竹の門没(1925年)後の俳壇で活躍した主な俳人たちを紹介しています。
〔紹介している主な俳人〕
- 浦島孤島(1883-1967,大野村(現高岡市)出身。越友会員。竹の門に師事し、俳誌『葦附』や『有磯』を発刊した。『孤島句集』)
- 篠島木風(1886-1918,高岡の長楽寺住職。越友会員。荻原井泉水の層雲派に属し熱心に句作した。俳画にも優れたが32歳で急逝)
- 内島北朗(1893-1978,高岡市出身。「北一」の先輩・竹の門に勧められ俳句をはじめる。層雲派に属し熱心に句作した。陶芸家でもある)
- 澤田岳楼(1883-1950,和田(現高岡市)出身。越友会員。『ホトトギス』や松根東洋城の「国民俳壇」で、妻・はぎ女と共に活躍)
- 澤田はぎ女(1890-1982,西五位村(現福岡町)出身。夫・岳楼の勧めで俳句をはじめ、中央俳壇で活躍。一時「架空説」も出たが池上不二子により復権)
- 大石蔓(1905-39,高岡市出身。越友会の花笠を経て前田普羅に師事し『辛夷』の有力同人として活躍。竹の門の影響で多くの優れた俳画を遺すが急逝)
- 正村陶所(1886-1954,高岡市中心部「山町」の俳画人。画は独学で大雅・仙崖・鉄斎を愛し、渓仙にも影響を受け、郷土の風物を得意とした。漢詩もよくした)
- 米田稲介(1907-81,高岡市出身。竹の門や中塚一碧楼(『海紅』)の影響を受け新傾向俳句の振興に尽くした)
□第3展示室(2階)
この展示室では、郷土の俳人に加え、彼らに影響を与えた中央などの俳人・文人を紹介しています。
〔紹介している俳人・文人〕
- 澤田澤楼(1906-74,高岡市出身。海紅派俳人。家業の家具製造業に携わりながら、竹の門の影響で自由律を継承し「散文律」として発展させた。)
- 塚原真月女(1905-90,高岡市出身。市内の宗泉寺に嫁ぎ、同寺に集っていた俳人たちの影響で句作。『辛夷』の前田普羅の女弟子の第一人者)
- 岩崎夜鶴(1894-1982,東京出身で後高岡に転居。若い頃より俳句運動を展開。「自画賛」の理念のもと地方俳壇・俳画壇に多大な影響を与えた)
- 谷聴泉(1886-1939,城端町出身。東京や京都で日本画家として活躍。また「丹矢」の俳号をもつ海紅派の俳人でもある。篆刻でも名を成した)
- 野村満花城(1888-1968,城端町出身。碧梧桐・一碧楼の新傾向に共鳴。また竹の門、渓仙とも親しみ独特の画境を開いた。他に陶芸・茶道・郷土史など幅広く活躍)
- 大谷句仏(1875-1943,東本願寺23世管長。子規や虚子・碧梧桐の指導を受けたが『懸葵』を主宰し独自の道を歩む。幾度か来越し当地の俳人に影響を与えた)
- 冨田渓仙(1879-1936,博多出身。文展・院展などで活躍した日本画家。高岡の竹の門や城端の満花城など多くの文人に影響を与えた。)
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原本作成日:2002年7月1日;更新日:2015年3月28日
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