特別展「生誕150年記念 高峰譲吉展」
<会期>平成16年10月6日(水)〜11月28日(日)
<主催>高岡市立博物館・高峰譲吉博士顕彰会・高岡市
<後援>高岡市教育委員会・富山県教育委員会
<協賛>県民芸術文化祭2004協賛事業
<休館日>毎週月曜日(但し10月11日は開館し、翌日休館)
<開館時間>午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
<入館無料>
チラシ表 チラシ裏
世界的な応用科学者・実業家である高峰譲吉(たかみねじょうきち)は、嘉永7年(1854)、後に加賀藩典医となる高峰精一の長男として高岡の御馬出町(おんまだしまち)に生まれました。母親の幸子は高岡の横田町の酒造業「鶴来屋(津田家)」塩屋喜三次の娘です。現在、生家跡には胸像が建立され、高峰記念公園として市民に親しまれています。
高峰家は代々の医家で、譲吉の曽祖父の幸庵の時、越後高田より高岡に移ってきました。譲吉は生まれて1年にも満たない頃、母とともに金沢の父のもとへ移り、8才で藩校の明倫館に学んだ後、長崎や大阪などで英語や医学の勉学に励みました。大阪の医学校で化学(舎密=せいみ)の実験や分析を学ぶうち、次第に理化学への関心を抱き、工部省工学寮(現東京大学工学部)へと進み、イギリス留学により更に多くの知識を得ました。
農商務省勤務の後、明治17年(1884)、アメリカ・ニューオリンズの万博に派遣され、リン肥料を知り人造肥料に着目しました。またこの時、後に妻となるキャロライン・ヒッチに出会っています。帰国後は人造肥料会社の設立を提唱し渋沢栄一らを説得、同20年(1887)に東京人造肥料会社を設立しました。また数年後には、麦の麹を使用した醸造法の研究成果により、アメリカのウイスキー工場に招かれます。その後、消化酵素剤「タカヂアスターゼ」の発明(1894年)や、強心剤・止血剤・喘息鎮静剤として現在でも利用されている「アドレナリン(当初はアドリナリン)」を明治33年(1900)に世界で初めて結化に成功するなど、世界の医学・薬学界に貢献し、その名は世界中に知られるようになりました。
一方譲吉は、ニューヨークに日本倶楽部を創設したり、ワシントンとニューヨークへ桜を贈るなど、日米親善に尽力し“無冠の大使”とまでいわれました。
また、多忙な日々の中でも郷土の発展を常々願い、帰省の際に講演会などで富山県の神通川や黒部川の水力発電を利用し、高岡市伏木地区におけるアルミ産業を提唱しました。アメリカと合弁で黒部水系に東洋アルミナム株式会社を設立し、電源開発にも取り組みましたが、過労が祟ったのか病には勝てず、大正11年(1922)7月22日、ニューヨークで永眠しました。しかしその後、伏木地区は臨海工業地帯として発展し、その先見性は今日見事に実を結んでいます。
本展は、博士の生誕150年を記念して高峰譲吉博士顕彰会(高岡・金沢)や金沢市立ふるさと偉人館、博士が初代社長を務めた三共株式会社などが所蔵する書簡・研究に用いた顕微鏡や、博士の胸像・肖像画などの関連資料を展示・紹介します。
郷土高岡が誇る高峰譲吉博士の足跡、及び今に残る研究や貢献の遺産をご鑑賞ください。
○展示説明会のごあんない
・講師 野口充子(当館学芸員)
・日時 10月16日(土)、11月20日(土) 午後2時から3時
・場所 企画展示場受付にお集まりください。
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原本作成日:2004年8月27日;更新日;更新日:2015年3月28日
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