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 高岡市立博物館が所蔵(保管)している一括資料の目録を公開します(順次公開予定)。
 研究に、生涯学習にぜひご活用ください。


No名  称概   要件数目 録
1 射水郡二上村 大菅豊家文書
(いみずぐんふたがみむら おおすがゆたかけもんじょ)
 現富山県高岡市の二上山麓に広がる二上村の肝煎(村長)・大菅庄三郎家から譲られた屏風の下張り文書。下記の二上射水神社文書を補完するものが多い。また明治中期頃に至るまでの二上村の姿がうかがえる史料もある。調査は佐伯安一氏の指導を受けた。 80 【凡例】
【解説】
【目録】
2 二上射水神社文書
(ふたがみいみずじんじゃもんじょ)
 養老元年(717)開創伝承をもつ二上射水神社(二上大権現)の別当寺は二上山養老寺で、近世には慈尊院・金光院・本覚坊の三ヶ寺が運営していた。本文書はその本覚坊に伝来した神社関係の史料(116件)と、二上村関係の史料(307件)からなる。
 同社文化財保存会所蔵。佐伯安一氏の指導により当館が調査・整理し、2010年2月25日の高岡市文化財指定を経て、翌年、目録(同社文化財保存会発行)を編集したのでここに公開する。

423 【表紙・目次・凡例】
【図書目録】
【解説】
【目録】
3 高岡公園関係綴
(たかおかこうえんかんけいつづり)
 1903〜39年頃の高岡古城公園(及び桜馬場公園)に関する市公文書綴。大半を占める公園利用申請からは市が公園内の枯損木や落葉、また蓮根、ジュンサイ、菱の実等の採取権を入札にかけていたことが分かる。また京都の庭師・7代小川治兵衛(とその弟子・広瀬万次郎)が公園改良に関わった事実や、政治家・稲垣示の銅像建造関係、1909年皇太子(大正天皇)行啓記念を控えた公園整備の一環、「中の島」造成(1907年)関係など、近代公園としての変遷がうかがえる資料もある。
 内訳は、@「高岡公園一件綴」284件、A「桜馬場公園地貸渡根帳 四」22件、B「高岡公園一件第三号」519件、C「明治四十一年度高岡公園樹木台帳」1件、D「大正二年以降市公園綴」170件、E「公園使用者台帳」96件、F「昭和三年四月改 公園使用者台帳」228件

(7冊)
1,320
【1】
【2】
【3】
【4】
【5】
【6】
【7】
4 砺波郡下麻生村文書
(となみぐんしもあそむらもんじょ)
 現富山県高岡市下麻生。近世〜近代の一般的な農村文書。村御印をはじめ、新開証文、変地関係など。近代は用水関係が多い。下麻生自治会蔵(当館寄託)。 40
(45点)
【目録】
5 高岡市伏木 堀田家文書
(たかおかしふしき ほったけもんじょ)
 伏木の有力な廻船問屋「七軒問屋」の筆頭・堀田家(鶴屋)伝世史料。代々堀田家は善右衛門を襲名した。北前船の商売記録(仕切書)をはじめ、6代以降は問屋業、銀行業なども営みつつ、人造肥料業、倉庫業、鉄工業などへ投資し、役員となったのでその関連史料がある。芥川賞作家・堀田善衞の父で9代勝文の代(大正末期)で家業は倒産。のち勝文は伏木海岸を埋め立て、外港築港を構想。1926年、伏木土地埋立会社創立。1928年着工。しかし激浪が予想以上で直ぐに計画縮小。1935年、予定の2割しか埋め立てられず会社を解散した。さらに勝文は政治家に転身する。1933年、伏木町長。のち県会議員(1934〜47年)となり、1940〜42年は県会議長となった。妻くには富山県初の保育所を開設した。
 内訳は、@近世 38件、A近代(以下同)株券 11件、B地券 30件、C電報 12件、D仕切書 80件、E商業 354件、F印刷物 8件、G文芸 17件、Hその他 152件、I地図 75件、J通486詳細目録、K図書
777
(1,393点)
【点数表・解題】
【1】
【2】
【3】
【4】
【5】
【6】
【7】
【8】
【9】
【10】
【11】
【12】
6 射水郡下関村 飯田家文書
(いみずぐんしもぜきむら いいだけもんじょ)
 射水郡下関村(現高岡市)の肝煎(村長)を務めた下関村又右衛門家の史料群。近世史料には慶長10年(1605)から寛保2年(1742)までの下関村検地極高書上、近世の高岡町方と下関村方間の請地・卸作関係史料等、近代史料には下関村助役等を歴任した飯田又右衛門の辞令、明治29年(1896)から同34年にわたる中越鉄道・北陸鉄道の用地買収史料等がある。近世における高岡町と下関村の関係、近代における高岡市の都市形成の経過が知られる。
 未整理だが、以前に富山県史編纂室が調査した810点分の目録はリンク先の富山県公文書館所蔵資料管理システムで公開されている(「家別検索」→「飯田家文書(飯田弘氏蔵)」→「件名一覧」)。

【富山県公文書館所蔵資料管理システム】
7 加賀藩十村 五十嵐家文書
(かがはんとむら いがらしけもんじょ)
加賀藩の十村(とむら/他藩の大庄屋)役を代々務めた砺波郡内島村(現高岡市内島)次郎助を祖とする五十嵐家伝蔵の史料群。主に当家4代孫作、5代孫作、6代佐次右衛門、及び、9代孫作(篤好)に関するものである。藩制初期からの砺波・射水両郡の収納関係や当家の十村任命、扶持高など由緒に関わる史料が多い。また、9代篤好は歌人、国学者などとしても知られ、和歌や叙位状などもみられる。
 未整理だが、以前に富山県史編纂室が調査した72点分の目録はリンク先の富山県公文書館所蔵資料管理システムで公開されている(「家別検索」→「五十嵐文書(五十嵐友氏蔵)」→「件名一覧」)。
※【参考】五十嵐家文書は他に、富山県立図書館、高岡市立中央図書館、高岡市立戸出図書館にも所蔵されている。

【富山県公文書館所蔵資料管理システム】
8 高岡源平町 神初家文書
(たかおかげんぺいちょう じんぱちけもんじょ)
 江戸後期、高岡町の綿場商人として名のある高辻屋を祖とする神初八右衛門家の史料。明治期には高岡米穀取引所の仲買人となりその相場帳や大正前期の各社株主総会の通知状・衆議院選の史料があり県下の経済・政治の状況を示している。
 未整理だが、以前に富山県史編纂室が調査した427点分の目録はリンク先の富山県公文書館所蔵資料管理システムで公開されている(「家別検索」→「神初家文書(神初豊一氏蔵)」→「件名一覧」)。

【富山県公文書館所蔵資料管理システム】
9 射水郡 西藤平蔵村文書
(いみずぐん にしとへぞうむらもんじょもんじょ)
 高岡市南部の純農村。寛文10年(1670)の村御印(むらごいん)をはじめ、近世から近代の基礎的な農村史料が揃っている。村御印では草高877石、同2から9年の新田高152石。免(年貢率)3割8分。小物成は鮎川役1匁のほか鮭役33匁があったが退転。明治22年(1889)に佐野村に併合(昭和17年(1942)に高岡市と合併)。
西藤平蔵万雑(まんぞう)会寄贈(同村肝煎・戸長 南家旧蔵)。
 未整理だが、古岡英明ほか『西藤平蔵村誌』(西藤平蔵村誌編纂委員会、2004年)を編纂した際の撮影史料リストを公開する。
(約550点)
【表紙】
【p1】
【p2-3】
【p4-5】
【p6-7】
【p8-9】
【p10-11】
【p12-13】
【p14-15】
【p16】
10 高岡横田町 岡本家文書
(たかおかよこたまち おかもとけもんじょ)
 近世後期に高岡町の豪商として急成長を遂げた岡本(屋号、福岡屋)清右衛門家所蔵のもの。当家の由緒書、用米方御用・売薬・苧 布・綿など商売関係史料が8,140点近くあり、藩政後期の高岡町の行政・商業の史料として重要。近代史料として化学肥料の商売に関する史料がある。
 未整理だが、以前に富山県史編纂室が調査した418点分の目録はリンク先の富山県公文書館所蔵資料管理システムで公開されている(「家別検索」→「岡本家文書」→「件名一覧」)。

【富山県公文書館所蔵資料管理システム】
11 高岡捺染 笹原文次関係資料
(たかおかなっせん ささはらぶんじかんけいしりょう)
 かつて高岡の特産であった「高岡捺染(なっせん)」の創始者・笹原文次(1857〜1927)の関係資料目録。捺染とは染料を糊にまぜ、直接布地に摺り付けて染色する技法。文次は高岡利屋町の染物業・4代絹屋文助の子として誕生。明治17年(1884)に「捺染直接摺込法」を発明し、従来の型紙を亜鉛板型に置き換えた。また染料を改良して絹ではなく安価な木綿に応用して生まれた「新モス友禅」は全国的な大ヒット商品となった。更に染色機械等改良の研究を重ね、数々の特許を取得。業界の発展に尽力した。
 文次の子孫から寄贈を受けた本資料は、1.笹原家関係(10件)、2.賞状・メダル(6件)、3.特許関係(47件)、4.捺染亜鉛板型(3件)からなる。

66
(144点)
【目録】
12 高岡鋳物師 高森家文書
(たかおかいもじ たかもりけもんしょ)
 鋳物(銅器)は高岡を代表する伝統産業(工芸)である。その歴史は高岡の祖・前田利長が高岡開町(1609年)より間もなく越中砺波郡西部金屋(にしぶかなや/現高岡市戸出)より鋳物師(鋳造技術者)を招いたことに始まる。利長は鋳物師に「拝領地」(金屋町)を与え、地代や諸役を免除した。それ以降も加賀藩や、全国の地方鋳物師を統括していた京都真継家の支配と保護奨励を受けて発展し、江戸後期には真継家台帳では全国一の鋳物場となるに至る。
 高森(釜屋)久右衛門家は金屋町鋳物師では後発組であるが、塩釜・梵鐘などを鋳造し、近隣に売り広めて隆盛し、明治初期には金屋町一の地主となった。
 史料内訳は、1.鋳物師由緒・取決関係(26件)、2.釣鐘関係(35件)、3.鍋釜関係(11件)、4.絵図関係(10件)、5.土地(屋敷)・金銭関係(99件)、6.宗門改関係(7件)、7.その他(8件)である。
 高森家蔵(高岡市立博物館寄託)。

196
(208点)
【解題・凡例】
【1】
【2】
【3】
【4】
【5】
【6】
【7】
【8】

13 筏井竹の門関係資料
(いかだいたけのかどかんけいしりょう)
 筏井竹の門(1871〜1925)は俳人・俳画家。近代高岡における文芸の盟主。本名は虎次郎、旧姓向田。金沢市に生まれる。1892年高岡に転居。97年日本派俳句会越友会の結成に参画。河東碧梧桐に師事し、越友会の指導者、『高岡新報』俳壇の選者として俊鋭清新な作句と温雅な人格で後輩を誘導し、越中俳壇に貢献する。大正期には自由律俳句に向かう。また冨田渓仙・小川芋銭らと親しく往来して俳画に打ち込み、多数の淡彩墨画を遺す。句集・歌集・遺墨集4種がある。
 本資料は、1.歴史資料(27件90点)、2.美術資料(56件142点)、3.参考図書(5件5点)からなる。

88
(237点)
【目録】








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原本作成日:2019年11月29日;更新日:2022年4月26日