| ホーム | 収蔵資料検索 | ご利用案内 | 交通アクセス |

高岡城関係資料 前田利長書状(神尾図書之直宛)



〔翻刻(ほんこく)〕
「R尚々かしら(繰返し記号)も/Sまいにちふしんばへ/@おつて申入候仍/(21)出候ようニ候也/A此間たゝきどい/Bなとそんしの/Cほかおそく出来候/D其うへふしんも/E此いせんよりはかも/Fゆかさるように/Gきこへ候其ふんニ/Hミへ候やふしん/Iのていしのひ(繰返し記号)/J定られ候てようす/K申こさるへく候<折り返し>Lかやうの義ふしん/Mふきやうへ申され候/N事もむよう候/O此いせんよりハふしんニ/Pせいもいらすようニ/Q存候/かしく/八月十三日」(丸数字は読む順番。「/」は改行)
(奥ウワ書)「(切封)/つしよ/    ひ/参」


〔読み下し〕
「追って申し入れ候、よってこの間、叩き土居など存じのほか、遅く出来候。その上普請もこの以前より、はかもゆかざるように聞こえ候や、その分に見え候や。普請の躰、のびのび定められ候て、様子申し来さるべく候。かようの義、普請奉行へ申され候事も無用候。この以前よりは、普請に精も入らずように存じ候。
 尚々頭々も毎日普請場へ出候ように候なり。かしく。八月十三日」
(奥ウワ書)「(切封)/図書(神尾之直)/    肥(前田利長)/参る」


 【年代】慶長14年(1609)8月13日
 【法量】
 【所蔵】前田育徳会(尊経閣文庫)



 この文書は慶長14年(1609)8月13日に利長から、側近の神尾図書に宛てて出されたものである。
 その大意は「叩き土居などが思いの外、遅く出来て、その上普請も以前より、捗っていないように思える。普請についてはのんびりと定められている様子を伝えて来た。このようなことは、普請奉行へ伝えなくてもよい。以前よりは、普請に精も入っていないように思える。なお、頭たちも毎日普請場へ出るよう申しつけよ」というもの。
 非常に細かなところまで指示しており、高岡へ一日でも早く入城したい利長の苛立ちが伝わってくるような書状である。利長は現場の様子や進捗状況をよく把握していたことが分かり、高岡の現場へ検分の使者を派遣していたと思われる。現場の士気は少し弛んでいたようである。それは高岡築城は“超”突貫工事で進められたため、疲れや不満がこの時期にきて少しずつ表面化してきたものと思われる。
 また、「たたき土居」の「たたき(叩き・三和土)」とは叩き土(花崗岩・安山岩などの風化した、可溶性ケイ酸に富む土)に石灰・水などを加えて塗り、たたき固めたもの。その土で築いた土塁が「たたき土居」である。傾斜は当然石垣に比べて緩い。一般に野面積の石垣67.5度、芝土塁は条件によって異なるが45度から55度位で、この「たたき土塁」は30度〜45度位といわれる。






このホームページ内の内容、画像の二次利用は固くお断りします。

原本作成日:2003年5月21日;更新日:2015年3月28日