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高岡城関係資料 前田利長書状(松平伯耆康定・神尾図書之直宛)


前田利長書状(松平伯耆康定・神尾図書之直宛)


〔翻刻(ほんこく)〕
「Kハたましの/Lしふんハ大川/@わさと申入候仍/Mにわふなかす/A我々来廿五日より/N申つけ小川にわ/B同廿九日まての/Oふなはしを/C間ニこし可申候/Pとうざ申/D間さん(い)せん申/Qつけ度候/Eつけ候ことくつり/Fこしとも/Gかり度候間内々/H申つけられ/I候てこしかきまて<折返>Jそへ申候て可給候/かしく/八月五日」(丸数字は読む順番。「/」は改行) (奥ウワ書)「はうき/つしよ    はひ」


〔読み下し〕
「わざと申し入れ候。よって、我々来る二十五日より同二十九日までの間に越し申すべく候間、最前申し付け候ごとく、釣り輿とも借りたく候間、内々申し付けられ候て、輿舁(か)きまで添え申し候て、申すべく候。
 移徒(わたまし)の時分は、大河には舟数申し付け、小河には舟橋を当座申し付けたく候。かしく。八月五日」
(奥ウワ書)「伯耆(松平康定)/図書(神尾之直)    羽肥(羽柴肥前守=前田利長)」


 【年代】慶長14年(1609)8月5日
 【法量】
 【所蔵】前田育徳会(尊経閣文庫)



 この文書は慶長14年(1609)8月5日に利長から、側近の松平康定と神尾之直に宛てて出されたものである。
 その大意は「(魚津にいる)我々は(8月の)来る25日から29日までの間に、高岡へ移転するので最前から申し付けてあるように、釣り輿に輿かきも添えて借りたいので内々に申し付けておくように。また移転の時は、大河には多数の舟を、小河には当座の舟橋をかけるように」というものである。
 非常に細かなところまで指示しており、利長の性格や、当時の心境が読み取れる興味深い史料である。この8月5日の段階では移転(移徒=わたまし)の予定は、8月25〜29日であったことが分かる。この後、高岡新城の普請の遅れで、順々に延期され、結局、9月13日になっている。
 また、釣り輿は轅(ながえ)でつり下げてかつぐ輿、輿舁(か)きは輿をかつぐ人のこと、舟橋は、船を横に並べ、上に板を渡してつくった橋のことである。






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原本作成日:2003年5月21日;更新日:2015年3月28日