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高岡城関係資料 越中高岡古城址ノ図


越中高岡古城址ノ図(註記)

越中高岡古城址ノ図
 【年代】寛政12年(1800)
 【法量】タテ48.0p×ヨコ36.0p
 【材質】紙本墨画
 【所蔵】石川県立図書館(森田文庫)



 一見してフリーハンドでサラサラと描かれていることがわかる。
 土塁(土居)を墨で太く描くが、曲輪の名称は書かず、本丸に「百間計与(ばかりと)御座候/八十間計与御座候」とあり、また御米蔵と御塩蔵も適当に記されている。二の丸には「足軽番所」2棟とその間に井戸が描かれている。
 そして鍛冶丸と二の丸の間の濠には「舛形ホリ」とあり、鍛冶丸の南の濠には「ホリ/チリタマラズ」記されている。

 本図の上半分には「高岡御城地」とタイトルのある文章が書かれている。そこには高岡城の概略が記されているが、その末尾には、
 右寛政十二年五月於江戸表高岡御城地ノ/絵図 仰付ラレ指上ル節縄張等ノ儀高/山南坊ニテモコレアルヘク哉相考候様被仰出ニ付此ノ如ク相調入 御覧是其草稿也/申(寛政12年)六月廿一日   田辺政己」とある。
 つまり「江戸表」において高岡城の絵図の作成を命ぜられたので差し上げたら、その際に縄張は高山南坊(右近)であるのかどうか調査せよと命ぜられた。これはその草稿であるということを田辺政己が記している。
 田辺政己は加賀藩士。宝暦3年(1753)に生まれ、文政6年(1823)に亡くなっている。御近習勤仕となり、家禄200石を継ぐ。組外に列し、再び御近習番となった。
 この「江戸表」とは加賀藩士である田辺が言っているのであるから、おそらく寛政12年当時の加賀藩主(11代)・前田治脩(はるなが)であろうか。
 また石川県立図書館には本図の写しも収蔵している。






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原本作成日:2003年5月21日;更新日:2015年3月28日