学芸ノート 【第12回】 「高岡城跡」国史跡指定に想う昨年11月、文化審議会は「高岡城跡」を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申した。平成27年1月末の現在、指定の発表を今か今かと待ちわびている(同年3月10日指定←加筆)。というのも、この指定申請にあたっての詳細調査に多少関わらせていただいたからである。さらに、何よりこの城跡(というより公園)に対しては、私の子供の時よりの遊び場であり、今では「職場」でもあり、並々ならぬ思い入れがある。 そのような思いは、古くは前田利長や利常をはじめ、高岡が城地として江戸・大坂をしのぐ「天下ノ座城」と絶賛した町奉行・小川八左衛門、公園指定に奔走した服部嘉十郎、公園整備に尽力した鳥山敬二郎、公園の夕景を愛でた室崎琴月、夢を語り合った藤子・F・不二雄と藤子不二雄(A)などなど数々の「高岡(ゆかりの)人」たちも思い、抱いていたに違いない(敬称略)。 歴史学(古文書)を専門とする私自身、恥ずかしながら、“遊び場”であった古城公園を「城跡」という貴重な歴史的文化財(史跡)として真に認識したのは、平成18年、日本城郭協会による「日本百名城」に県内から唯一、高岡城が選ばれてからである。正に「灯台下暗し」、余りに身近過ぎたのだ。それから調べ始めると、知れば知るほどこの城跡は史跡としての価値が高いものだと分ってきた(今ではすっかりお城ファンになり、「日本百名城スタンプラリー」にハマってしまっている)。 城郭協会曰く、高岡城は著名な高山右近による縄張伝承(最近は疑問視もされているが・・・)があることや築城当時(1609年)の堀や郭(くるわ)、つまり縄張の保存状態が極めて良好であり、当時の設計思想の基準になりうることが最大の選定理由であるという。 【画像】高岡城跡空撮(北より/平成18年) ![]() 歴史学的には築城の詳細な経緯をたどれる20通前後の「前田利長書状」という一次史料が現存していることが実は全国的にも特筆すべき貴重な事例である。また明治8年という早い時期に公園指定された「近代公園」としても重要で、特に京都の小川治兵衛、東京の長岡安平という日本近代造園史上に名を馳せる、東西を代表する造園家が関与していることも見逃せない。 まだまだ語り尽せないが、これから国史跡として整備が始まるなか、何より将来の「全面発掘」に大いに新発見を期待したいところである。 高岡城跡には天守閣や門、櫓など城をイメージさせる分りやすい構造物が無く、石垣などは教えられなければ気づかない人もいるかもしれない。しかし、数々の魅力を秘めた高岡城跡は、噛めば噛むほど味の出るスルメのような、「上級者向け」の城跡といえましょう。 (主査学芸員 仁ヶ竹 亮介) ※本稿は高岡市立博物館に親しむ会会報「鍛冶丸」第3号(平成27年3月1日発行)掲載文に一部加筆したものです。 このホームページ内の内容、画像の二次利用は固くお断りします。 原本作成日:2015年1月10日;更新日:2015年7月28日 |