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高岡城関係資料 高岡旧城図


高岡旧城図

 【年代】
 【法量】タテ89.0p×ヨコ53.0p
 【材質】紙本彩色
 【所蔵】金沢市立玉川図書館 近世史料館(加越能文庫)



 本図は土塁を描かない点、堀や曲輪の間数が細かく記されている点(本図の堀の間数は朱字)、城内建築物を描く点などから「高岡城之図」(No.1)の中段図、即ち幕末の高岡町奉行・小堀金五右衛門政布の提出したものと、その系統を同じくする絵図といえる。

 しかし、「小堀提出図」とは若干であるが差異がみられる。
 まず、本丸の蔵の配置である。「小堀提出図」にみられる、本丸南隅の「御郡方作喰米蔵」と思われる蔵がみられない。しかし、本丸番所の北東(小竹藪)側に「八間拾五間/御収納蔵」が描かれている。この配置はどちらが正しいのだろうか。『高岡市史』中巻によると『改作方御条目』には「御収納蔵四間に二十四間のもの弐棟、八間に十五間のもの壱棟、計三棟」あるので、おそらくどちらとも正しく、時期的な違いによるものであろうと思われる。しかし、作喰蔵やこの8×15間の蔵が何時築造されたものなのかは不明であり、従ってどちらの絵図が古いとはいえない。
 また、本図は「御城外(小竹藪)」周辺の沼田や、さらに北東(工芸高校や美術館側)方面は省略されている。
 そして本図の「御城外」は、きっちりと直線で描かれ、角は器械的な曲線になっている点は疑問視すべきであろう。

 本図の特徴は、その(正確な?)表現法といえよう。
 まず本丸の御門や二の丸の矢来門の表現により、大まかには立体的に想像がつく。また搦手口の「ヤライ」は増山安太郎著『高岡古城志』によると「矢来」となっているが、本図の表現によると出入り口はなく、ただの柵になっており、搦手口は閉鎖されていたことが分かる。しかし、『高岡市史』中巻によると「(この搦手口の)門は図示していないが、もちろん簡単な出入口はついていたであろう」と推察を加えており、これまた真相は不明である。ただ、何点かの城絵図をみると、本図のようにただの柵になっているものが多いようである。
 そして、「小堀提出図」では本丸南東(明き丸)側の本丸の蔵が24間なのに、南西の50間の蔵とほぼ同じ長さで描かれているが、本図はきちんと間数通りに描かれている点は評価すべきであろう。

 このように本図は「小堀提出図」との若干の相違がみられる。それは上記にあるように一長一短といえるが、またそれ故に本図は比較検討の重要な資料となり得るともいえよう。






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原本作成日:2003年5月21日;更新日:2015年3月28日