企画展「殖産興業と博覧会」
<会期>平成14年7月9日(火)~9月1日(日)
<主催>高岡市立博物館
<後援>北日本新聞社
チラシ表 チラシ裏
明治政府が“殖産興業”の名のもと、近代化の促進を図った明治初期、海外の万国博覧会(万博)へ盛んに出品したり、内国勧業博覧会及び共進会などを各地で開催し、産業振興・輸出拡大が図られました。
富山県内からも高岡銅器・漆器のほか、種々の産業製品が出品されました。また明治中期には、絹織物や醸造製品なども出品されています。
世界で最初に万博が開催されたのは1851年(嘉永4年)のロンドンですが、日本国としての最初の参加は明治6年(1873)のオーストリア・ウィーン万博でした。新政府は、同4年末にいち早く同万博への参加を決め、一部の経費を負担して出品を奨励し、博覧会事務局が展示品の収集を全国の府県に呼びかけ、巨費を投じて全国各地の特産物や工芸品を集めて出品しました。この時、高岡の横山彌左衛門父子が合作した高さ126.7cmの「頼光大江山入図大花瓶」は大好評を博しました。
これらの万博の成功に触発された初代内務卿・大久保利通の提唱により第1回内国勧業博覧会が明治10年(1877)に開催されました。その後、第5回まで東京・京都・大阪で開催され、多くの入場者を集めて国内の産業振興に大いに寄与しました。また、その後も続いた万博などへの参加により、西欧先進諸国の技術や知識の吸収が進み、国内産業の紹介・輸出拡大が促進されました。
大正期から昭和初期にかけては、万博への参加・出品の一方、天皇即位の奉祝記念の東京大正博覧会に始まり、国内産業や文化の進展を示す博覧会が諸外国の参加を得て開催され、昭和10年代の戦時博覧会の時代を経て、戦後は復興のシンボルとなる博覧会が開かれ、当地高岡や富山でも開催されました。
本展は明治期から昭和20年代にいたる万博や国内の博覧会・共進会などの出品作品・賞状・メダル・錦絵・写真などの関連資料を展示し、高岡銅器・漆器などを中心に、(1)「殖産興業の進展」、(2)「国内地域博覧会の充実」、(3)「戦後復興期の高岡・富山産業博覧会」の3つのテーマを設け、当時の郷土産業や物産事情を紹介するものです。
〔主な展示資料〕(予定)
○東京国立博物館所蔵資料
・「頼光大江山入図大花瓶」一対(横山彌左衛門父子の合作。明治6年ウィーン万博出品作)
・「宝相華文花瓶」(関澤卯一作)
・『温知図録』(納富介次郎の提唱により国が編纂した図案集)
○乃村工藝社・情報資料室所蔵資料(寺下勅氏コレクション)
・国内外の博覧会の会場図などの日本有数の貴重な資料群。
○高岡市美術館所蔵資料(高岡伝統工芸名作保存会収集資料)
・「天燈鬼」(角羽勘左衛門製作、佐野隆親作)
・「武人文様大香炉」(圓中孫平製作、二代横山彌左衛門作。第1回内国勧業博出品作)
・「福寿文勇助塗飾棚」(二代石井勇助作)
○万博や国内開催の各種博覧会の證状・メダル類
○砺波漆器、井波彫刻、城端蒔絵、景岸焼(福岡町)、八尾和紙などの県内主要産業資料
○高岡産業博覧会など県内開催の各種博覧会関係資料
ほか
このホームページ内の内容、画像の二次利用は固くお断りします。
原本作成日:2002年7月1日;更新日:2015年3月28日
|